065010 ランダム
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ルイ☆ルイ

ルイ☆ルイ

短期留学

高校二年生のときに学校の勉強が飽きて中国語をやりたくなった。
近くのカルチャースクールに習いに行った。
先生は若かくてキレイ。生徒は私以外の3人はおばあさん。
生徒3人。
みんなが良くしてくれて毎回楽しかったけど、
授業とは言っても毎回ただの雑談だった。
初中国は18歳になった時、高校3年生。
推薦校が決まっていたので大学受験はなかったし、中国語の先生の
両親が天津の南開大学で教授をやっていたのもあって夏休みの間遊びに行くことに。

1人で初めて飛行機に乗った、1人で初めて海外。
何もかも初めて。しかも中国語はほとんど話せない。
名前と年齢、日本人である。と言う事くらいしかいえなかった。
北京の空港に着いたときに先生の妹さんが来ていた。
今はほとんど忘れたけど、その時は学校で習った英単語を必死に話してたきがする。
その日は彼女が故宮と景山公園に連れて行ってくれた後に「北京ダック」を食べた。次の日は天津へ。

先生の両親と会って、学校の手続きをしてもらった。
個人の短期授業クラスに特別入れてもらった。
ルームメイトは中国語、フランス語、英語がペラペラの30歳のカナダ人だった。彼女とは私が高校英語を必死に使って会話していた。
学内のおいしい店に連れて行ってもらったり、一緒に遊んだりした。
欧米系の友達がたくさんできた。
ついでに宿題もやってもらった。
けど「こんなのやるより会話できないと!」といわれ、ハッとした。
それまで記憶!記憶!で乗り越えてきた勉強。
でも外国語を学ぶとはそういうことだけじゃないんだ!
実際使わなきゃ!と悟った。

短期授業が始まり、クラスは私を含めて日本人6人。
彼らは大学生と院生で私は一番小さかったので、とてもよくしてくれた。
今でもたまに連絡しあってるくらい。
かなりアットホームな授業で私のレベル(水平)は驚くほど伸びた。

その間にそのクラスメイトのお兄さん達と小旅行へ。
内モンゴル(内蒙古自治区)へ。
大草原でウマに乗り、パオに泊まり、モンゴル料理を食べた。
乳茶が旨かった。(けど何の乳だったかは不明、たぶん羊?)
響沙湾という巨大砂漠へ。
何もかも初体験で楽しかった。
でもやたらと鮮明に覚えてるのは包頭市内の発電所。
何でこんな所にこんな大きな?
感動が薄れた。
4泊5日の旅だった。

1ヵ月半過ぎて学校が始まるので私は皆より先に帰国することに。

天津から北京へ1人で行く。
それほど話せるようになった。
1人で京劇を見に行って、もう一度故宮へ。
そして天安門、買い物まで行った。
パピィが予約してくれた日系ホテルへ行くとなぜか予約されてない。
でもココは日系ホテル、私は高校生の分際で「スィート」に泊まった。
(でも怖くて何も触れずに、風呂だけ入って寝た)
空港までも1人で行って、無事帰国した。



迎えに来ていた両親は余りの私の汚さに驚き。
「中国人よりソレっぽいね」と言われた。
そして学校で待ち受けていたのは「変わり者」と言われる事だった。
先生が「中国好き」なジイサンで授業中にしゃべったと言う。
私は一時期間だけ、ちょっとした有名人になった。



そして大学に行くまでの期間は中国語と趣味の地学に捧げた。
実はこの推薦校は「中国への交換留学制度」が目当てであって、
専攻学科などまるで眼中になかった。
別になんでも良かった。
両親に言ったら「どうしようもないやつ」
そりゃそうですよね?
本当は「そんなに好きなら中国の大学いきなさい」と言われたけど、
バカな私は「一応日本の大学出ないとな」なんて考えちゃってました。
たまに思います。
あの時選択を変えてたらどうなってたんだろうか?って。



とりあえず、私の中国計画は始まったばかり.....。ヒヒヒ。


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